1974、75年に起きた連続企業爆破事件で指名手配された桐島聡容疑者(70)を名乗った後、入院先で死亡した男について、警視庁公安部は27日、桐島容疑者本人と特定したと発表した。5事件に関与したとして、容疑者死亡のまま爆発物取締罰則違反と殺人未遂の両容疑で書類送検した。
「自分は桐島聡だ」
神奈川県鎌倉市の病院に末期がんで入院した男が突然に「告白」したのは、1月25日だった。その後、公安部が桐島容疑者本人と特定するまで約1カ月の時間を要した。
桐島容疑者は、本人の指紋やDNA型が警察側の登録になく、特定の手がかりとなる物証は多くなかった。公安部は、桐島容疑者の自宅を捜索するなど、本人特定を慎重に進めた。複数の親族のDNA型鑑定や聴取の結果などを踏まえ、最終的に本人であることを確認したという。
名乗った後の捜査で、半世紀に及んだ逃走生活の一部が浮かんだ。
捜査関係者によると、桐島容疑者は川崎市内で日雇いの仕事などをした後、80年代ごろから神奈川県藤沢市の土木会社で約40年間、住み込みで働いた。「内田洋」を名乗り、身分証や保険証は持っていなかった。爆破事件後、海外に渡航した形跡は確認されておらず、支援していた者がいるという情報はないという。
容姿は白髪交じりの無精ひげ。藤沢市では銭湯に通い、時折バーで酒を飲んだ。音楽に合わせて踊る姿もみられた。
「誰も行方知らず」「悔しいが公安部の負け」
元警視庁公安部の捜査員で作家の勝丸円覚さんは「首都圏の都市で人の海の中におり、地方の田舎よりも目立ちにくかった。組織から完全に孤立無援だったから、警察はきっかけをつかめなかったのだろう」と話す。
過激派を追う公安関係者の一人は「過激派の間でも桐島の話は皆無で、消息を絶った後、誰も行方を知らなかった。正直、もう見つからないと思っていた」と話した。警視庁公安部の幹部の一人は「悔しいが公安部の負け」と言った。
遺体の引き取り手なし 無縁仏に
桐島容疑者は告白後の聴取で…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル